りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2022/12/30 疲労感と孤独感と少しの勇気

通い詰めていた喫茶店の店長が、系列の別店舗に異動していた。

夏以降しばらく足を運んでおらず、昨日久しぶりに店に立ち寄って知った。上野の店だったが、異動先の店舗は池袋だという。

池袋はあまり行くことがないから土地勘もなく、どの辺にあるのかと調べてみると、どうも系列店が3店舗あるらしい。

また上野の店に寄ったときは、池袋のどの店舗か聞いてみようと思う。

 

人とあまり深く関わり合うことがないわりに、この店長には挨拶に行きたいと思った。

 

上野のこの喫茶店には、かれこれ56年通い詰めている。前前職で忙しい時や精神的に滅入っていた時、土日に勉強したくなった時、時間を潰したい時。

わりと単価は高めの店だったから、この店に行かなければかなりの金額を貯金に回せた。

ただそれよりも、自分の居どころというか、人目を気にせず安心して過ごせる場所としてとてもありがたかった。

そうこうしているうちに、店長が顔を覚えてくれた。いつも1人で来て、大体ビーフカレーとケーキを頼んで、B5のノートに目一杯文字を書き込む陰気な男だ。毎週末来ていれば嫌でも顔を覚えるのかもしれない。

いつも入り口で軽く会釈、いつもの笑顔で二階席を案内してくれた。一階席が空いていても、二階席。いつだったか、どちらが良いか聞かれて咄嗟に二階席でと返答してから、ずっと。

顔だけでも覚えてくれてありがたいのに、席まで気を利かせてくれた。二階席が空いていない時は申し訳なさそうに一階席を案内する調子だ。

一年ほど前か、閉店間際の会計時に少し会話が弾んだ。いつもありがとう、こちらこそというようなたわいもない会話だったが、少しこの街に居場所を見つけた気がした。今にして思えば、自分はその会話で少し救われたのだと思う。

 

今も少し、孤独感を覚える。それは東京に受け入れられていないような気持ち。自分から居場所を見つければ良いが、引っ込み思案には簡単なことではない。やっと繋がった関係は、どうにも自分から煩わしく思えてしまう。全部壊したくなる。そんなことをしながら心地良い関係とはどんなものか思いながら悩む。その点、店長とはとても心地よい距離感だった。

 

今、上野の喫茶店には馴染みの店長はいない。それは自分にとって少し寂しいことだ。でも池袋の店舗で働いている。それには言いようのない嬉しさがある。知り合いが別の場所でがんばっている。こういうことが、自分の孤独感を和らげてくれているように思う。

 

それは高校や大学の友人にしても同じだ。みんな違った場所、違った立場でそれぞれの生活を営み、生きていると、想像すること。

それだけで少し元気が出てくるような気がする。