りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2021/12/07 あの人の人生も自分の人生でありえた。

なんということはない。たまたま自分がこうなっているだけで、何かがほんの少し違っていたら、街中に寝転がるあの人は自分だったかもしれない。

そういう感覚は忘れたくない。

特に深い意味はない。ただ、偶然の積み重ねが今を形作っている。そんな感覚があってもいいのでは。



このあいだ、靖国神社遊就館に行って、英霊の言乃葉を二冊買ってきた。真珠湾攻撃から明日で80年。当時の多くの若者の犠牲の上に、今のぼくらがいる。

昨今のコロナの馬鹿騒ぎも構図は同じで、割を食うのは若者と、馬鹿正直に生きている人たちか。



「生きていてくれさえいれば、それでいい」という言葉があるが、糞食らえだと思う。そんな考えだから、とっくに寿命を迎えた老体にチューブを繋ぎ、見たくないものから目を逸らして、決めるべきことに背を向ける。

別に甘えるなとか逃げるなとか言ってるんじゃない。必死に生きればいいと思う。それはあらゆる感情にまみれてそれらを飲み込んで、時には人から恨まれても、自分が決めるということなのでは。一度自分に委ねられたことは、自分で決め切ることなのでは。



色んなものが、嘘にまみれている。メディアもアホだし、学者や有識者もアホだ。結局我が身可愛さに、自分の得になることしか考えていない。金になること、権力を得ること、そんなことしか考えていない。

そうではなくて、子々孫々に恥じぬ、累々と受け継いだこの国や郷土、その歴史そのものに恥じぬ生き方をしたい。



江戸時代以前は、同じ国土に住む人間同士が殺し合っていた。日本国民という概念が生まれたのもつい150年程度のことで、ごく最近の話だ。人類史からすれば、まだまだ伸び代しかないんじゃないの。折角知性を手に入れて、それを活かさないなんて馬鹿げている。一部のクズのためじゃなく、将来の子どもたちのために賢くなりたいものだ。



新サービスの立ち上げを手伝っている。

おれなんか下っ端で大した意見も出さずにいる中、たかだか4歳上の人間が全部取り仕切っている。新サービスって、ビジネスに関わる全てを見渡さないといけない。今やシステムは必須だし、法務や特許から調達、マーケティングやオペレーションまで。

人事関連以外については、ほとんど一つの会社を見ているようなものだ。

こんな経験できたらいいなと思っていた経験を、目の前の4歳上の人間がやっている。こりゃ難しいわと思いつつ、4年後はこれができるようでなくてはならないと、強く思った。



自分が生涯を賭して成し遂げたいことを探そうとするも、いまだに見つからない。でもそこで出てくるのは、やはり郷土やそこで関わった人たち、その未来を担う人たちのために何かすること、である。

いつになるか分からないが、そんなことに関われたら良いと思う。