りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2021/01/20 ルターと煉獄さん。

ルターの言葉とされるものがある。

「たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日りんごの木を植える」

たとえ徒労に終わる可能性が高いとしても、「だからどうした?」と自分の本分に従う、というたとえで引用されることが多い。

 

ところで、現代の日本人やそのほか先進諸国の人間に多いのは、損得勘定で判断する価値観である。僕も含めて彼らは、合理的であることや損得で価値判断する。

「これをしたら怒られるから、やらない」「勉強すればいい大学に行けるから、勉強する」「いい会社に行けばそれなりの給料がもらえるから、就活を頑張る」「得することがないから恋愛をしない」「リスクを担保できないからセックスをしない」

人間のふるまいだけでなく、現代の仕組みを構成しているのは、こういった損得勘定に基づく制度であるともいえる。典型的なのは、「Xをすれば、懲役刑になる」等に代表される罪刑法定主義である。

 

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「 お前も鬼にならないか?」と聞かれたとき、煉獄さんは鬼にはならないことを貫いた。それは価値観が違うからだという。

どんなに損得に基づく選択肢を与えられても、それに従うのではなく、自らの本分に基づいて行動することを貫く。

この本分とは何か。煉獄さんが強く生まれた理由にある。本編で明らかにされることは、煉獄さんの母から、子である煉獄さんに与えられた言葉である。

かれが強く生まれたのは、弱きものを救うためである。弱きものとは、強きものである鬼との対比で描かれる、人間である。

だから、たとえ死なない身体になろうとも、常に自分の本分である人間を守るということを貫く。

これは損得勘定に基づく行動ではなく、自分の本分に基づく行動である。

この行動が若い人に受けているのかどうかはわからない。わからないが、これが受けているとすれば、もはやこういった生き方をする人が絶滅危惧種であることを意味するように思われる。

ただ怖いのは、現実にこういう生き方をしている人間がいたときに、彼らはおそらく、その本分に基づく行動から距離を取るだろうことは想像に難くない。

要するにフィクションなのである。

 

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 損得勘定がすべて悪いことではない。

ただ、普段から損得勘定で生きている人間が、いざというときに自分の正義を信じ、本分に基づく行動ができるとは思えない。

損得勘定や仕組みに基づく動機ではなく、ニーチェのいう超人のような、仕組みを超えた本分に基づき、それによる結果を引き受ける行動は、社会が崩れてきたときに輝くのだろう。

 

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損得勘定ではなく、本心から動ける人間でありたい。

そういう自分の本分や、自らの感情、記憶、経験を大切にしながら、日々生きていきたい。

 

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実際に地球最後の日には、自分が本当に大切に思えるパートナーと一緒に時間を過ごしたいとは思うけど。

それが明らかになるまでは、たとえ明日突然死ぬとしても、毎日リンゴの木を植えよう。