他のみんなは、自分で決めて、自分で選んで、自分で行動してきた。そこにたまたまおれがいたか否かというだけのこと。
それは、おれが何かを決めて行動した結果というより、彼らが行動したときに、たまたまその延長線上にいた自分と交わっただけ。それはとてつもない偶然だし、奇跡のようなものでもあるが。
ボケっとしていても時間が進むだけ。自分は変わらずにボケっとしたまま時間だけが進んでいく。そして自分が動いていなくても、周りが忙しなく動くことで、ただそこにいる直線的な自分の線上に、周りの人間が交わってくるだけ。自分は動いていないのに、周りが動くことで自分が動いているように感じる。それは、周りは行きたい方向に向かって試行錯誤して右往左往している一方で、自分はただ動くことはなく、まるで動く歩道に乗ったまま死にむかって一直線にそこに“いる”だけ。
そんな感じ。