正月を祝うしきたりは、あくまで人が創り出したものとはいえ、強制的にリセットされるシステムとしては優秀だと思う。
個人的にも年末に未練たらしく飲み歩くより、年始に豪快に金を使ってぶちかます方が好みだ。
こうして年始に景気付けして、明日からまた粛々と日々を過ごしていくのだ。
ところで、年末に同居する祖母が背中を痛め、家事含め家のことをできなくなった。そのためこれまで祖母がやっていたことの一部を自分がやらざるを得ない状況になった。大掃除から庭木の剪定、少しの料理。今朝も人生で初めてお雑煮を作った。
日々の細事に悟りがあると説いたのは道元だが、家の事をこなしていくと、何度か気持ちが安らぐ瞬間が訪れる。特に土いじりや庭木の剪定は、無心に帰る。そうこうしている年末、買い物やら何やらを済ませて家路についている時、ふと「自分の人生を引き受ける」という言葉が浮かんだ。自然と浮かんだ言葉にしてはでき過ぎているから、誰かの書いた文章が思い返されたのだと思ってググったら、案の定為末さんの言葉だった。
先日も思ったことだが、何事も自分事として受け入れ、自分で咀嚼する。日々の細事にしても、それを通じて得られる感情も、その一部である。ここ数日は、自分の人生を引き受けていると感じられた日々だったように思う。
あとは、もう少し早起きできたらいいのに。