りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2019/06/10 その人同士の役割を超えて、心配してくれる人が、どれだけいるんだろうか。

本当に憂鬱になってきた。本当に、こんな小さな事で憂鬱になるんだ。電車に乗って、仕事に行きたくないなと思う。

小さな事故にでもあって、入院しないかなとも思う。

このまま電車を乗り過ごして、反対方面の終着駅に着きたいなと思う。

こんな嫌な気持ちで、それでも乗り越えて、陰鬱な顔で出社して、人と会話し、上司から貶され、同僚から蔑まれ、それでも誰かの笑顔や会話に救われる。

そんな日々の繰り返しが人生なのか。


嫌だなあ。本当に、嫌だ。


大学の同期と職場が近いらしい。昔から来てんのかいた頭の良い、それでいて孤独を愛しているような、そんな魅力的な男だった。


おれは大学を三留しているから、あまり誇れる大学生活ではなかったけど。気さくに接してくれた数少ない知人だ。

今度ランチに行くことにした。とても嬉しい。


自分のことを心配してくれる人は沢山いる。でもそれは、社会的な役割が背景にあって。仕事のつながりとか、学校の知り合いとか、家族とか、友人とか、恋人とか。

そういう役割を超えて、ただの一般人として、いや、ただの人として心配してくれる人は、どれだけいるんだろうか。


隣人を愛せというのは、そういうことなのだろうか。


スペインの巡礼で、パツキンのねーちゃんとワンチャンあるなら、人生見つめ直すキッカケに行ってもいいかなと思う。


1月休んで、行ってみようか。


そういう役割から解放されて、同じ場所を目指す人を気遣って。

それも1つの役割か。

じゃあ、その役割を超えて、いろんな人を許し、愛し、心配することができる人は、どれだけいるんだろうか。