りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2019/06/06 人が落として気付かなかったペットボトルを、拾えなかった。

今日は、午前休にした。

嘘もついた。悪い嘘だった。

そのかわり、家のことを何かしらやろうと思って、久しぶりに皿も洗い、会話もし、本棚にあるいらない本を片付けた。

片付けはまだ終わっていないから、週末に進めよう。


何があるわけでもなく、特に悪いことをしたわけでもなく。ただただ憂鬱で、午前の仕事を休んだ。


家で過ごす時間は、とてもゆったりしていた。同じ9時なのに、会社にいる時とは全く時間の過ぎ方が違った。

家の人と会話をしゆっくり朝ごはんを食べ、本を読み進めた。


こんな日が、週に一日はあって良いなと思った。毎日出社して、嫌な人間関係に埋もれて、妙な責任とプレッシャーを背負って、誰にも褒められず、誰からも感謝されず、ただゴールも見えずに働くことが。

それが社会性の証明になるなら、おれには社会性なんて元から備わっていないんだ。

それで良いとさえ思っている。

あと数ヶ月の間だから、それまで我慢しろという。体制が変わればやり易くなるという。来週からは新しいメンバーも入るから、一層励めという。

そんなん無理だ。もう結構限界なんだ。人との会話でさえ、限界なんだ。こんな気持ちで会議も打ち合わせも行なっていること自体が、限界なんだよ。無理しているんだよ。だからもう、外してほしい。この案件から。本当は外れて、ひと月くらい休みが欲しい。誰もいないところで、穏やかに朝を迎え、夜を見送り、思い悩むことから逃れたい。


本当は考えて、考え抜いて、やり過ごす、克服するのが大事なんだろうなあ。ただ、その前に心が折れては仕方ないんだよ。


今日は、嫌いだった人に、満面の笑顔で反応することができた。相手もいい気分そうだった。これでいいのかな。


自分は本当に弱い。か弱くて情けなくて、だらしがない。頭も悪いし、飲み込みも遅い。そうなんだ。見せかける事だけは得意だけど、中身はまだまだ空っぽなんだ。


もっとたくさん本を読んで、アウトプットして、人と話して、人に耳を傾けて、地道に進んでいくしかないんだ。

昨日より今日、今日より明日。今日の収穫は、あの笑い顔だったと思う。


家路に着いて、メトロの乗り換え駅。

電車を待つ観光客が、カバンからお茶のペットボトルを落とした。

本人も気づいていない。

周りの人も拾ってあげない。

みんな暗い顔で、下を向き、怒ったような表情で、すたすた歩いて過ぎていく。

おれは階段を登る前で、それを見ていた。

拾おうかと足を止めた。後ろから、横から、人が流れてくる。自分も流れに乗らないと。ペットボトルを後ろに見ながら、拾うことを諦めた。そんな自分が嫌になって、未だに引きずっている。そんな銀座線の上野駅だった。