りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2019/09/02 今日は自分の存在意義を見失った。

新しいものは先行者を否定して登場するが、大抵の場合それは間違っていて、新しいものも先行者も、どちらも必要なのだ。


今日は午前中から夕方にかけて、17時からの会議で使われると思っていた資料をまとめていた。まとめるといっても、広告施策の比較表である。本当はそれほど時間を掛けずに作れるはずだし、簡単に施策を並べて金額感とそれぞれの期待値を比較できればよかった。

そうは言っても、まずそれを作ることに三時間以上掛かった。

集中力も続かなかったし、何より元になる資料が欠けていたり、確認不足の点があり、それらを確認するのに異常に時間がかかってしまった。

それからどんな形に表にまとめるといいのか、アウトプットの形が見えていなかった。

決めの本題だったが、どちらが良いのか決めあぐねて、最後までごちゃごちゃと表の形をいじっていた。


次に信じられないのは、それだけ時間を掛けて作った表を提示することなく、一言も発さず会議が終わったことだ。

おれは何のためにいたのか。いない方がマシだった。広告よりも有効な施策があり、それを提示すれば終わったはずの会議で、無駄な資料を作って時間を浪費していただけだったのだ。

これほど虚しいことはない。会議後、せめて自分の役割を見いだしたくて、机を綺麗に拭き取るしかできなかった。自分が本当に無力だった。予算の話も並行して議題に挙がったが、なにも言葉を発せず。ただ聞き流し、みんながメモしたことを真似してメモした。悔しいというか虚しいというか、絶望感というか虚無感というか。とにかく、会議後にこれほど自分の存在意義を問いたくなったことはない。

もっと数字について調べないといけないし、もっと上司がどこを向いていて、何を求めているのかを理解しないといけなかった。それに、メンバーがどこを向いていて、何を成し遂げたいのかを共感しないといけなかった。

それが全くできていなかった。

悔しかったのもあるし、情けなさすぎて、それでもどこか他人のせいにしようとしていて、プロジェクトに対しても人ごとのように斜に構えていて、そんな自分がただ情けなくて泣きそうになった。

会議後に机を拭いて、メンバーに労いの言葉も書けることなく会議室を出てトイレにこもった。

現実から目を背けながら洋式トイレに座り込み、数十分ほど携帯をいじっていた。そんな自分も情けなくて、それでも気を紛らわせるから、手を離せなくて、本当に自分が嫌いになった。ダサすぎる。情けなさすぎる。

普段は偉そうに上から目線で人のことを馬鹿にして、見下しながら過ごしているのに、いざという時にはすぐにいじけて、気を紛らわせ、問題から目を背ける。何より仕事に対して真剣に向き合わず、人のことを馬鹿にして、見下しながら過ごしている。

人に優しくできず、強くも生きられず。

本当に嫌だ。こんな下らない自分が許せない。こんな事も笑い飛ばせない自分が嫌だし、心底軽蔑する。

こんな気持ちで転職活動していても、うまく行くわけない。本当に、どうにかしないといけない。


継続することが自信に繋がるからと、このブログを書き続けている。一ヶ月すると途切れたりと、1日たりとも欠かさずに書くことは難しいにしても、それなりに書き続けてきたつもりだ。それでも足りない。全く自信につながっていない。ダサいままだ。

もっと自分に自信を持っていけるような、そんな証を身に付けたい。圧倒的な自己肯定感と自信を纏いたい。

仕事で、年上や上司や、同僚を圧倒して頼られる存在でいたい。そんな理想に少しでも近づきたい。本当に、心底自分を軽蔑した。

今日は泣きたいくらい、自分を軽蔑した。