昨日ニュースで「気合い」が使えないと言っていて、何のことかと思って見てみれば、空手競技ではコロナ対策で声出しをできなくなったという。その空手で競技中に出す声のことを「気合い」というらしい。
腹から声出すと気持ちも入るし、喝も入る。
気合いと言う言葉の由来はどうあれ、肉体に気を合わせて力を発揮することであれば、まさに「気合い」だなと思った。
何事も気合いでだけで解決できないことはある。むしろ最近は、気持ちを入れてやれとか、なんとか頑張れとか言えばすぐに、「そんな精神論ごとき」と揶揄される事が多い。
しかし気合いも馬鹿にできない。思い切り声を出すことや自分に喝を入れることは確かに自分を奮い立たせるし、実力以上の力を引き出すこともある。
「所詮は精神論」と言う揶揄や批判を聞くたびに、むしろ気持ちの入っていない成功に価値はあるのか?と思う。
それこそ精神論だが、気持ちを練り上げた末に成し遂げた事こそ何より血肉になると思うのは僕だけだろうか。