祖母の好きな詩人に、室生犀星という人がいるそうだ。
夕飯を食べていると、この北陸が生んだ詩人の詩を口にして、自分の郷里を懐かしんでいる。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」
調べてみると、ネットのどこかに全文が載っていたので書いてみた。これ怒られるんだろうか。
※※※
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
※※※
祖母は今年で90を迎え、健康そのものとは言えないが、同年代の人と比べれば元気な方である。
そんな祖母も金曜日から一週間入院するので、入院までの時間は、ぼくが一緒にいられる時間は、出来るだけ色んな話を聞く事に決めた。
戦争の話、祖父との馴れ初め、子どもたちのこと、孫であるぼくらのこと。
祖母は沼津の出身だ。祖父と箱根の芦ノ湖で出会い、すったもんだあって結婚し、東京に移り住んだ。
事の経緯は省くけど、そんなことだから沼津のことをよく懐かしむ。
その時にこの詩を口ずさむ。この詩人は北陸の生まれで、どこかの大きな家の主人と女中との子どもだったそうだ。そのために苦労することを多く、そんな話に自分を重ねる思いがあるのだろう。
祖父や祖母の世代の比べれば、ぼくらの世代は恵まれている。物にもコトにも不便はしない。一方で、物もコトも溢れるほどあるから、うかうかしていると自分が飲み込まれ、消えてしまうような感覚に襲われる。
何もない焦土から生きてきた祖母の世代が、ふるさとを思いながら地に足をついて生きてきた。
あらゆるものに溢れかえっている今のぼくらも、ふるさとを思いながら生きていくのも大事なのかもしれない。
などということをもやもや思いながら、この詩をさっきからずっと眺めている。