りんごの木を植える。

高校の友だちが毎日更新してるので、ぼくも続けてみようと思います。

2023/01/12【10】胸の痛みと焦りと迷い

ダンテ曰く、「地獄への道は善意で舗装されている」のだ。

 

文藝春秋100年記念号を読んでいる。

その中に小栗旬大河ドラマについてのインタビューと、京都大学の偉い先生による「日本の自殺」を読み直す、という寄稿があり読んでいた。

小栗旬のインタビューは、大河ドラマの主演を引き受けた経緯や撮影現場の雰囲気、役者同士の掛け合い、スタッフとのやり取りなど、鎌倉殿を楽しんだ人間にとっても温かい気持ちになる内容だった。

特に小栗旬が役にはいって行く様子や、役の感情機微を読み取るよう試行錯誤するなど、作品をより良くするために熟考している様子は印象的だった。

以前プロフェッショナルで小栗旬を取り上げていた際には番組プロデューサーとのやり取りが話題にもなった。また、敬愛するマネージャーとの死別にも触れられていた。

とても無邪気で素直そうに見える一方、内面複雑でさまざまな葛藤を抱え、人への敬意を忘れないような様は、益々魅力的に思えた。

そんな彼が一つの区切りとして、今後の活動を改めて見直したいというのは、素直に応援したい気持ちだ。

ぼくも負けないように必死に生きたい。

 

「日本の自殺」を読み直す、について。

「日本の自殺」とは、1975年に匿名の学者集団が文藝春秋に寄せた論考のことである。

時は高度成長の終焉や田中角栄の政界引退、石油ショックニクソンショックを経験した一つの時代の節目だ。そしてこれから日本にはバブルの熱気が今まさに渦巻こうとしているその時、日本の没落を預言したのがこの論考だった。

今では日本の衰退は自明のことであるが、その課題を総合的に見出せる人はいない。

少子高齢化や財政、対抗国の隆盛など個々の課題は挙げられても、その処方箋は個別最適に過ぎない。

これらに欠けている視点は、「文明論」である。

 

そこで「日本の自殺」は、これからの日本の没落を「ローマ帝国の衰退」に見出したという。それはローマ帝国の内部からの自壊に他ならない。豊かさと引き換えに伝統的共同体の解体と大衆社会化を誘因してモラルの低下とともに社会の沈下をもたらした。

「日本」はどうか。物質的な豊かさにより精神の自立を失い、欲望ばかりが肥大化した。また倫理的能力の衰弱と幼稚化をもたらした。さらに情報が人々の持つ思考力を奪う。そうした社会は共同体の解体と大衆社会化により、孤立した個人が集まる社会となっていく。

戦後民主主義についてもその一端を担う。画一的な教育で独断的非経験科学的、多元性を認めない全体主義的、権利ばかり求め責任と義務の放棄、建設的な提案のない、大衆迎合的なものという特徴をもつ。戦後民主主義はつまるところ、「擬似民主主義」だったと。

 

著者たちの示す教訓は以下だ。

①国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭した時、経済社会は自壊する。

②国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神を持たねばならない。福祉主義はそれを壊す。

③エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。

④年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはいけない。

⑤人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計られるものではない。人間を物欲を満たす動物とみなすとき、欲望は際限なく膨らみ、人は常に不平不満にとりつかれる

 

「日本の自殺」は保守的自由主義の立場で書かれており左翼進歩派からは否定される内容だが、これをイデオロギーの産物と捉えてはならない。文明の歴史的な法則を論じたものである。

 

さて、今後の日本はどうか。

技術革新による復活は、マクロの需要喚起が期待できない限り起こり得ない。かつ国外に目をやると紛争やエネルギー、食糧危機、環境問題と混乱続きだが、それに対する処方箋は残念ながら日本は持ち得ない。

 

さらに言えば、戦後日本の復興を支えた日米同盟による平和、経済成長、平等社会の実現するレジームは、冷戦と共に崩れ去った。今や世界は新たな力の政治の時代となった。

 

そこへ来て国内の声は、せいぜい世界の趨勢に乗り遅れるな、とあうだけである。そしてその実態は対米従属を意味する。

日本の国家が何を目指すのかという国家像や自立した意思、国民的議論は見当たらない。

 

ではどうするのか。

日本は日本人にとっての幸福を改めて問う必要がある。それは日本人の「価値観」を問うことだ。それは対米従属などの借り物ではなく、内発的な価値観、つまり自然観、死生観、歴史観、人生観などから探り出すものだ。

この時代に来て改めて「日本の自殺」が現代日本に問う意味は大きい。

 

 

世界中が西洋近代文明の価値観に飲み込まれた今日、西洋文明自体が生命力や創造力を失いつつある。そしてはそれは現代文明の没落以外の何ものでもない。

日本の没落は日本単体の問題ではなく、現代のグローバル文明の没落とともにある。

 

東洋に位置しつつ西洋から多大の影響を受け、相当に独自の風土の元独自文化を作り上げてきた日本であれば、あるいは。

まさに特殊主義的特殊主義の追求こそが日本のなすべき方向なのかもしれない。